バンジージャンプからみる行動と恐怖のきりわけ

数年前にバンジージャンプをしに水上までいった。びびりながらも結局飛んだのだけれど、正直飛べるとは思っていなかった。なぜ飛べたか。これは他の恐怖に一歩足を踏み出すときにも使える考え方かもしれないと思ったのでメモしたい。はじめに、スタート台にのぼったら「つま先を少し出してください」とガイドに言われる。恐怖の絶頂だ。足は震えるし死んでしまうかも知れないと言う恐怖にかられた。でも私より前に飛んでいた友人は二人ともあっさり空に向かってダイブしていた。飛べる人と飛べない人。その違いはなにか。それは、片足を30cm前に出すか出さないか、それだけだった。「大したことない。30cm前に片足をだす、それだけさ。」カウントダウンされているときにそう自分に言って、諦めて、飛んだ。スタート台に留まった方が恐怖にやられる。あっさり飛ぶ人は恐怖は凄く少ない。飛んでしまえば、怖かろうがなんだろうが地上に降り立つまで、あとは受身だった。それからというもの、怖いものは小さな行動の一つとして考えるよう自分に言い聞かせている。例えば、転職活動で応募するかどうか迷い何も進まない時期がある。そんな時は、私がやることは「応募する」ボタンをクリックするかどうか、それだけじゃないかと自分に言う。凄く小さな行動だ。それくらいはできる。それさえしてしまえば、その先は会社から連絡を待つだけだ。落ちたら次へ、受かっても次へ。小さな行動をするかしないかそれだけで、進むか、後悔が残るかに分かれる。恐怖を前にしたときはいつも、自分ができる「小さな行動」で判断するようにしたい。恐怖は現実には起こっていない、自分の頭の中の現象だ。そんな現象のせいで行動が制限されてしまうのはもったいないことだ。

ハジメル!!

広くて浅い、ときどき狭く深い。 日々の記録。将来誰かの役に立ちますように! 東京、マルチポテンシャライト。 建築、双極性障害、介護、転職、花、和食、アクティビティ、断捨離、コーヒー、起業、婚活。 Amazon.co.jpアソシエイト

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