視線の自由と思考の自由

視線が自由になると思考も自由になる!?先日、テレビ番組で聞いたことがひっかかってならない。とある運河沿いのテラス席でランチを食べたとき、やたら友人がやる気を出したことを思い出した。その時は、車で、都内でも海が眺められる公園へいき、その後運河沿いのレストランへ行った。友人のテンションの上がり方が普段では想像できないほどで、とても驚いた記憶がある。いま考えれば、視線の自由。これがそうだったのかもしれない。建築空間でも面白いものといえば、「断面が面白いもの」という人がいる。それは左右だけでなく上下も見ることが出来る視線の自由からくるものなのだろう。上昇志向の強い別の友人も、海が見える家、メゾネットの家を探している。気分が上がる空間なら多少高くても構わないと言う。逆に、普通のサラリーマンをイメージするとパソコンにしか向かっていないような、そんな制限された視界がイメージされる。乗り物で考えれば、地下鉄より地上のほうが面白いし、視界の自由を身体の自由と捉えれば、その他かなり多くのものが想像される。ならば、いったい私は何の制限をとっぱらうことができるのだろうか。

ハジメル!!

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